雨の降らない星では愛せないだろう?

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関ジャニ∞に「歌」を求める

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どうもこんにちは。奏ポルカドットです。ポルカでいいです。名字ある人なんて他に誰もおられませんがポルカだけだと座りが悪いので悩み中。どうでもよ~。

 

さて、今日は、歌について。最近こちらのブログを読ませて頂きました。

関ジャニ∞の歌について今思ってること(追記あり)|好きなコードはEadd9

エイトの歌に対する想い(昨日の続き)です|好きなコードはEadd9

既に読まれた方も多いかと思いますが。

ここ最近のプロモーションのためのTV出演で、ずーっと抱いてたもやもやがよみがえっていたタイミングだったので、お1つ目の記事に共感しまくりでした。

少し前の記事で前髪や衣装をただただ崇め奉っていた人間とは思えないくらい今日は辛口です。相当感じ悪いかもしれません。コイツあかんわと思った瞬間、すみません、リターンお願いします。

 

関ジャニ∞の歌って、ずっと前から、それこそファンになる前からもどかしい気持ちで見てました。ファンだと思ってなかったのに何故か昔からハラハラし、「本当の彼らはこんなのじゃない」ってかばうような目で観ていたんですよね。友達にエイターがいた影響もあるかもしれないけれど。

特にTVで観るのが怖かったのが『オモイダマ』でした。曲調的にも局面的にも相当勝負曲だろうとは分かったのですが、んんん?これでいいの?売れないぞ、と。

まず、曲がこれでいいの?でした。「応援ソング」「バラード」という売れ線まっしぐらなテーマなのに、メロが暗い。最後も儚い。なんでこんなあえて挑戦するみたいな自由詩なんだ?歌詞の言葉をもっと減らしてありきたりで単純にすればいいんだよ。カラオケで歌いやすい曲にすればいいんだよ。歌い継いでいくから一人じゃ歌えないんだよ。音域が広すぎるんだよ。女子にはAメロBメロ低くてきついよ。斉唱にすればいいんだよ、某女子グループみたいに。

サビまでがソロ歌唱なので、1人1人の歌い方の差もハラハラしました。ピッチが悪くてぶら下がり気味の音が気になったり、上ハモもうまくいく時といかない時があるし、渋谷すばるが出てくるパートは言葉いっぱい喋りながら音を上げていくから難しいのは分かるけど前半ののっぺりした歌い方と後半での上ずりが気になって気になって。 

何より、落ちサビのすばるのソロパート。「それはあの太陽よりまぶしかった」。いつもいつも「ぶ」でハラハラしました。全身全霊を込めてるのはよく分かるんですが、音が当たるかどうかはまた別物で、バクチのようで、ドキドキ。

今ならわかる。すばるくんは曲によって歌声を変えることができるし、「正しい」音に沿わせて優しく歌い上げることもできる。あえてそうしないのは、そんな曲じゃないと思っているから。音なんかよりも「正しい」信念があるからなんだろうなということ。

ライブではたぶんそれが心に響くのだろうし、ファンは実力はあるって言ってるし、TV向き、一般向きな歌手じゃないんだなぁと、お茶の間の私は思っていました。

 

で、それから数年後、ファンになってからTVでのパフォーマンスを観る度に、当然ながらファン以前よりもどかしく思うようになりました。

ヘタウマというか。ウマヘタというか。少なからずアイドルってみんなそういうもんだけれども。会心のパフォーマンスができることが少ない。

だから、ファンになってからTVで聴いた『前向きスクリーム』でも『侍唄』でも最新曲『罪と夏』でも、「何でこの人達は上手く聞こえる曲を歌わないんだろう。折角の難しいハモリも成功しなければ余計下手に聞こえるだけ」というのが課題だと考えていました。どれもAメロとか、もっとじゃんじゃんインストに音足した方が助けられてうまく聞こえると思うんですよね。それをあえて音楽的にやらないというのが、アイドル楽曲っぽくない。

関ジャニ∞って全員、歌下手じゃないと思うんですよ。音痴でもない。昔のことはあまり分かりませんが、少なくとも最近は。

でも、全員、下手ととられてしまいがちな隙のある部分があると思います。あくまで私の印象ですが、すみません、辛口です。

口から下で歌っていると思うのは、横山くんと大倉くん。音程を口先でとろうとしているせいで次に来る高音に備えられずピッチが悪くなりがち。発音が平べったくなりがち。村上くんは音痴に聞こえやすいガサガサした声質な上に立ち上がりが悪い時があって最初の一音迷子になりがち。安田くんは大げさなブレスが耳につく時がある。丸山くんは決めるところではがなり声もできるんだけど普通に歌うと声がヨレがち。錦戸くんはもともとの声質が曲にハマれば魅力的なんだけど曲によってはこもりがちで弱々しく聞こえる。すばるくんは誰とも混じり合わない(渋谷くんって書けないな、なんだこの違和感)圧倒的な癖の強さ。ビブラートかけると音程がフラットになりがち。

今の私はみんなの声が好き。硬質な高音も深みのある低音もパンチのある力強い声も艶のある声も実直でまっすぐな声も色気のあるくぐもり声も力強く伸びやかな声も、どの個性も大好き。だけどTVで短く切り取られた一瞬のソロパートじゃじっくり聞けないし、その魅力は伝わりにくいと思います。ハモリも、ユニゾンも、個性の違う7色の音色になってしまう。TVスタジオの音響設備だと個別に拾われて、そのにぎやかさが悪い風に聞こえてしまう。

歌が本職でもないのに、偉そうに上から目線ですみません。 でも、もどかしい。この気持ちはなんだろう。(by谷川俊太郎

 

結局、もどかしいのは、なんでこの人たちは「よく見せようとする」ってことをしないんだろうということかもしれない。

いきなりフィギュアスケートに例えて悪いけど(自分の畑だからこの例えしかできないんだけど)、「大事なオリンピックシーズンになんでこのプログラムを持ってきた!!」って選手が、トップ争いする選手の中にどうしても必ず現れるんですよ。あるある通り越してもはや呪いです。

勝負のシーズンに用意するべきでないのは「どんな良い演技をしたとしてもそれじゃ金メダルをとれないよ!そもそも良い演技になりうるための助けが少ないよ!」っていうプログラム。逆に言うと、チャンピオンプログラムっていうのは大体の条件が決まってる。「これで良い演技をできたなら勝てる!」っていう状態まで、プログラム自体が仕上げてくれているような。勝利への道を敷いてくれているような。

オリンピックは4年間隔なので、4シーズン中の2シーズンくらいは自分の苦手分野を克服するための矯正プログラムや、今までのイメージを変えるような挑戦的なプログラムを持ってきてもいい。苦手要素にも幅広くチャレンジしていけばいい。だけど、やはり勝負をかける大一番には、それなりに結果を出せるような技やプログラムを引っ提げて臨むべき。その時は、音楽の助けなんかガンガン借りればいいし、苦手なことはやらなくてもいい。うまくできないことは隠せばいい。できないことをできるように見せるっていうのは悪いことじゃない。だって結果を出したいんだから。良い評価を得たいんだから。その時の自分が最高の状態に見えるようにプロデュースすればいいんです。その上でないと最高の状態は出せないと思います。

 

で、関ジャニ∞の話に戻るんですが、TVの歌番組で明らかな準備不足だったりすると悲しいですよね。ファンにとっては楽しみにしている貴重なTV出演だし、ファンじゃない人にとっては(大げさに言えば)もしかしたら一生に一度の目撃機会かもしれないのに印象を悪くするとファンを増やすチャンスを失う。「新曲や!テレビや!全国ネットや!」って張り切るわりに、見せられるのはこんなもんかいという落胆。毎回毎回を勝負の時だと思って、もっと努力してほしいな、と。

誤解を恐れない、よく見せようとしない。つくろわずに、いつもそのまんま。

その姿勢は、信念をもってやっているのだとすれば、素晴らしいです。いつも自然体なところが魅力の一つでもあると、もちろん私も思うし、そういうところが好き。だけどその反面、いつもどこかでもどかしい。

 

歌だけのことじゃなくて、トークなんかの場面でも「もう少しニコニコすればいいのに。腕組みやめればいいのに」って思ってしまう時は今でもあります。ファンには真剣に話を聞いてるからだと分かるけど、いつも見ているわけじゃない人にそういう個人の理由を理解してもらうのは難しい。「まぁしょうがないか、万人に理解はされないそういうものだ」と慣れて受け入れたつもりになるんですが、時々余計なお世話がぶり返してしまう。新規だから敏感になってるだけで、先輩エイターさん達はきっともう慣れてしまってるんだと思うんですが。誤解されるのが心配なんです。自分の好きな人達だから、叩かれる種をできるだけつくりたくない。身内感覚です。もっとファンとして経験を積めばどんと構えられるんだろうけど。

そういう風にファンに心配をさせるところがアイドルだなとも思うし、アイドルっぽくないなとも思います。完璧じゃない、から好き嫌いが分かれる。アイドルに夢の世界を、完璧な王子を見せてほしいタイプの人には向かないでしょう。応援する要素がある、ととらえられるタイプでないと、しんどいかもしれない。

だから、一般からの印象を良くするために、歌が弱点と思われてしまわないために、ボイトレや全体練習、楽曲選び、パブリックイメージを良くするための活動をしてほしい、というのが私の願うところです。

 

ここまでが、前述のブログのお1つ目の記事を読んで思ったことと、以前から考えていたこと。そして、ここからが、追記された部分と、お2つ目の記事と、頂いたお返事とを読んで思ったことです。

 

「もっと歌を練習してほしい」「ファンじゃない人から歌が上手いと見られてほしい」という希望。その願いは「全エイトとエイターで」1つだと思ってました。けど、確かに関ジャニ∞がそれを望んでるかといえば、そうじゃないかもしれないんですよね。「歌が上手い歌手であってほしい」というのは、私という一ファンの願いでしかなくて、もしかしたら他の多くのファンも望んでいるかもしれないけれど、7人やスタッフ含む「関ジャニ∞」がそうありたい姿や今後目指す姿と違うかもしれない。もしかしたら「歌はそこそこの陽気な兄ちゃん」になりたいのかもしれない。

ただのファンなので。消費者側なので。プロデューサーじゃないから、本人じゃないから、出されたものを受け止めるしかないんですよね。

7人の手掛ける幅広いお仕事。歌も楽器もダンスも寸劇もコミックソングもロックもクラシカルバラードも作詞も作曲もトークもロケもコントもゲストセッションもMCもドラマも映画も舞台も。なんでもやるっていうことは、手段はなんでもいいから売れたいってことだと思うんです。歌うことは、「売れる」目的のための手段の1つ。肩書は歌手じゃなくて、アイドルだから。タレントだから。それはそれで仕方ないことで、ファンが在り方をどうこう言える話じゃない。うん。改めて考えるとそらそうだ。

 

友人、恋人、家族という近しい人相手にしても、他人を思い通りにさせたいという欲は厄介なものですね。ましてやアイドルなんて、口を出したところで願い通りになるはずもない。

だけど、それを充分にわきまえたとしても、受け取り手として出過ぎてると分かっていても、やっぱり自分勝手な願いをしてしまう。

 

一ファンとしての勝手な願い、それは「歌手として、そろそろ新しいヒット曲が欲しい」です。良い曲に恵まれてほしい。良い曲っていうのは、関ジャニ∞の魅力を分かりやすく伝える曲で、世間に売れる曲でもあるし、「今の」関ジャニ∞の名刺代わりになる曲であってほしい。代表曲を更新してほしいんです。「ズッコケ男道」か「無責任ヒーロー」歌いがち問題を解決するにもそれしかない。

流れがキテるグループって、そこに当たり曲が必ずありますよね。逆に、良い曲が来れば良い流れにすることもできる。周年とかを考えるとしばらくは事務所内で最優先で推されることはないんでしょうが、本当はそういう露出が増えるタイミングで当たり曲をどんどんアピールできたらいいんだと思います。

夏に合わせて夏曲を出すもいいけど、タイアップに合わせてその世界観に沿った曲を出すもいいけど、できればそこに+1の要素を足してほしい。出す曲すべてに、芯の通った関ジャニ∞らしさがほしい。シングル曲ごとに振り幅を広くして、毎回意外性を出すのは良い作戦です。ですが、今は「なんでも歌える、踊れるしバンドスタイルもできる」でアピールが止まってしまってる気がするんですよね。一般から見ると「へぇーこういうこともできるんだ、でも、だから何?」ってなる危険性がある。せっかくプロモーションするんだから、その曲だけでなく、その曲を演れる関ジャニ∞のことをも知ってもらいたい。観た人が後を付いていきたくなるような、関ジャニ∞の魅力を広報する曲にしてほしい。そうやって敷いた伏線の後に、オリンピックが…じゃない、ヒット曲を狙う大型プロモーションを仕掛けてほしい。

7人正式メンバーで全員ボーカルで全員楽器のバンドスタイルというのは、珍しい分、世間的に強い武器になるはず。多様な歌声、編成は音楽性の高さに繋がっているから。ツアーや番組のおかげで楽器スキルがめきめきと磨かれてきた今だからこそ、次は歌をどうか磨いてほしい。ダンススタイルをとるにもお祭りソングをやるにも歌は必須要素なのだから。今後もアイドルをやる以上、歌の上手さは勝利のチャンスを広げるはず。そこに当たり曲を持ってこれたなら、世間は関ジャニ∞を、もっと好きになると思う。

そうやって、関ジャニ∞が歌手として成功している姿を見たい。私は。

 

今後どういう方向性でいくのか、会社やスタッフ含む本人たちが考えてないと思ってるわけではありません。私の「見えるところや見えないところ」で検討を重ね、表に出せない困難や失敗もいっぱいあるでしょう。時間の関係でできることは限られるでしょう。その中で何を最優先にしていくか、自分たちで決められないことがほとんどでしょう。俳優を目指して、司会者を目指して、もしかしたら「歌はチョイ下手で親しみやすい」キャラを目指していくのかもしれない。

関ジャニ∞がことあるごとに「間違いないから、俺らは」「ついてこいよ」って言ってくれるのが、とても好きです。だから、それを言葉だけじゃなくて、作品で信じさせてくれるような活動を見せてくれたなら。できれば歌に意欲と成果を見せてくれたなら。ファンに対して、どこに向かってどれだけ進んでて、だから大丈夫だ、と背中で示してほしい。

関ジャニ∞って世間の中で、事務所の中で、ファンとの狭間で、不器用にいつも模索しているグループに見えます。彼らのその孤独な戦いがいつか実を結び、どうか彼ら自身の夢を叶えてほしい。幸せになってほしい。好きな人に対するその気持ちは、ぶりっこのように見えるかもしれませんが、心からの願いです。本当はそれだけで充分なのだけど、もしも彼らのその夢の形の一つが「歌」ならば、その「歌」を好きでファンになった私は、嬉しい。それもまた、本当です。

 

分かってる人でいたいのに、ただ疑いなくついていくファンでいたいのに、どこまでも欲深い私。考えれば考えるほど、自分の欲深さに嫌気がさします。

そういえば「強欲」って七つの大罪のひとつですね。

私みたいなのが本来の「罪・罪・罪な女(ひと)」ということか。お後がよろしいようで。ちゃんちゃん。

 

「全然上手いこと言えてへんけどな!」ってヒナちゃんのツッコミが飛んできそうな終わり方。あはは。